2017年、坪田運送はコアビジネスの運送のほか、「ロジスティクス事業部」を社長肝いりで立ち上げ、東京・板橋区の東京団地倉庫に板橋事業部の拠点を構えた。
これまで埼玉県・川口市の倉庫に保管していたが、新規荷主から受託した常温貨物の受入れ増強を武器に、3PL事業への序章となった。
◇人とのつながりで開始した3PL事業
坪田運送が都内に足元を固めた背景について、「人とのつながりがあったから」と坪田社長は振り返る。同社は運送業の一環で、1992年に産業廃棄物の認可を取得、リバースロジスティクスにも着手した。ビジネスモデル拡大に比例して新規顧客が年々増加。物流業とは別の荷主と知りあうことができたという。
新規顧客から物流の相談をされるようになり、次第に「物流事業を一括して任せたい」との要請が増加していった。そこで同社が検討したのは3PL事業への参入だ。倉庫での保管、梱包など、顧客がこれまでアウトソーシングしてきた業務を、同社が請け負うことを決定した。2018年3月のことだ。
板橋事業部では2019年初頭から1フロアの半分(150坪)を賃貸、ロジスティクス事業の本稼働を開始した。現在は営業を強化させ、広く告知している段階だ。貨物取扱量の拡大を目指す。
坪田運送が3PL事業参入の狙いは、取り扱い品目の拡大だ。「完成品だけ保管、入出庫、輸送するのではなく、倉庫機能を拡充させることで品目増加につながることで、運送・倉庫部門での売上アップにつながる」と時代的には遅かりしスターとかもしれないが、まだまだ人の手を必要とする仕事は沢山あると坪田社長は期待を寄せる。
今回の取材は、3PL事業がスタートした4か月経過後の2018年暮れに伺ったが、荷主にはEC事業者、化粧品メーカー、マテハンメーカーなど大手5社を獲得。ハブ拠点となる板橋事業部で3PL事業が忙しそうに稼働していた。
「A社とB社が何かの提携を検討した時、必要なのが物流会社だった。そこで相談された物流会社となるC社が当社だった。そういう人との会話による流れから、当社が受注するケースがほとんどだ」(坪田社長)。
坪田社長は人と人とのつながりを重視する。仕事の話を相談されれば、「できない。」とは言いたくないという姿勢から、試行錯誤を繰り返しながら、受注するのが坪田運送流だ。一方で坪田運送の機動力は少数ながら定評があり、口コミで広まっていったという。
12月には、ジャロックから「シャトルランナー」を東京から宮城まで輸送したいというオファーがあった。ジャロックが知り合いの運送会社に打診したところ、繁忙期で運賃が高いばかりか、そもそもトラックの用意ができないとけんもほろろに断られた。困ったジャロックの担当者は人づてに坪田運送に相談。その3日後には直受けではないがこんな輸送方法であればと提案された。
坪田運送の提案は
・ジャロック本社から川口本社間をユニック車で輸送
・川口から宮城まで、混載便の箱車で運ぶ
というものだった。(現地には幸にフォークリフトがあった)
ポイントは坪田運送がお付き合いのある会社に混載便の空きスペースを確保できた点だ。
宮城までの混載便はこれまでもあるが、集荷にクレーンをつかわなければないないとなると中々見つかるものではない中間作業としてジャロック本社から坪田本社まで運び混載のための荷造りをして、比較的小規模の運送会社に伝手で宮城までの便を聞いて回ったところ、ようやく見つかったという。顧客のニーズに応えるための隙間を徹底的に突いた結果だ。
現在は社員数が37名、ドライバーは26名在籍する。社会問題化しているドライバー不足については、困っていないという。大多数が知り合いの紹介から入社してきた社員たちばかり。どんなに機械化が進もうと間に人間(アナログ)がいる限り、人とのつながりを大事にして行きたい。事業や社員も人との巡り合わせから始まり、会社規模を拡大してきた。
◇「走るより、走るな」
坪田社長のモットーだ。燃料を消費させない短距離(地場)輸送で、効率的に仕事をすることを意味する。倉庫事業の本格展開は開始されたばかりだが、売上高の割合は運送と倉庫で約50対50になるという。「この割合が理想。輸送と運送の両輪で会社を大きくしていきたい」と坪田社長は展望する。両輪で大きくすることを視野にする一方で、「倉庫業を極めたい」とも話す。倉庫で形が見えてくれば、「人とのつながりで自然的に仕事が増えていくから」――。いかにも坪田運送らしい発想だ。
4代目を担う坪田社長の長男・坪田一斗専務は、4代目を継承する日を「受け継いだものはなくさない。そのうえで徐々に会社の規模を拡大していきたい」と遠い目で話していた。一歩ずつ着実に歩いていく坪田運送流はこれからも受け継がれていくだろう。